自治体職員の勉強ブログ

日々少しずつでも成長

期待をしない~la tendre indifférence~

ここのところ、自分の「怒り」の感情との向き合い方について考えていました。
他人(ひと)が自分の思った通りに動いてくれないことに対しイライラしていたのです。


「普通」だったら、もっと早く対応するのに一向に動きがない。


「普通」だったら、もっと他人の意見を尊重するはずだ。


「普通」だったら、そんな話を何度も人前でしないだろう。


と。


ここで言う「普通」というのは、私にとって「時間を守らなければいけない」もしくは「嘘をついてはいけない」というのと同等の倫理観に基づいているものであることを意味します。
また、それらの問題を解決する為にも、「どうしたら相手に動いてもらえるか?」「どうしたら考えを変えてもらえるか?」と、そのことをどう伝えるかも含めて考えている内に、こうも1人で考え続けていることに対し腹立たしさと辛い気持ちが膨らんでいったのです。


そんな時、周囲に相談してみると、


“他人は変えることはできない。(変えることができるのは自分だけ。)”


というアドバイスを多くいただきました。


しかし、これがどうにも腑に落ちませんでした。


現状、他人に変わってもらわなければ、それらの問題は解決しないままである様に思えるし、他人を変えることが一切できないのであれば、例えば教育的指導であったり告白によって想いを告げるということも、一体何を目的として行われるかがわかりません。
それに私は簡単に諦めるということが嫌いなので、「他人は変えられない」という態度を初めからとることは、一種の「諦め」のように思えてしまうのです。
また、これまで「自分を変える努力」というものを私自身がしてきたつもりだったので、「それは他人には求められないのか?」という不公平感もつい抱いてしまいます。


とは言え、これまで通りイライラし続けることについては、もう限界を感じていました。


「怒り」のマネジメントは、おそらく今後一生大事なことです。


そこで改めて、「怒り」という感情を抱く際の一つの大きな要因は、「物事が思い通りにならないこと」によるものではないのか、そして、意識的/無意識的に抱いている「他人への期待」がその銃爪(ひきがね)となっているのではないかと考えました。何故なら「期待する」ことによって「思い(≒期待)」を抱くのですから。「怒り」という感情そのものを否定する気はありませんが、「他人への期待」を無くすことで、「怒り」の感情を抑えることが可能だと考えたのです。


“他人に期待をしない”


これまでも幾度となく繰り返されてきた苦しみの元凶は、実はいつも「他人(及び様々な事象)への期待」によるものだったのではないか?期待することによって得られたものよりも、期待することによって失われたものの方が多かったのではなかったか?


思い返せば、私自身が他人の期待に応えて生きてきました。常に期待以上のことをしたいと思っていたし、場合によっては(良い意味で)期待を裏切ってやろうと思っていました。
故に、他人に対しても期待をかけるようになっていったのかも知れません。


メールの返事はもう返ってこないかも知れない。


約束の時間になっても誰も現れないかも知れない。


はてなスターは1つも付かないかも知れない。


・・・・・・。


店員さんはお釣りを渡してくれないかも知れない。


缶コーヒーを買ったけれど、中身はコーンポタージュかも知れない。


・・・・・・。


と、ギリギリのところまで考えてみる。


果たして、全ての事象に対し、「そうならない」という可能性を予測することはどこまで可能か?


現代の日本におけるサービス水準は非常に高く、それに併せて私達の期待水準というのも非常に高いところに設定されているように思います。そのため、全ての事象について「期待をしない」というのは実に非現実的です。しかし、思考を習慣化するためにも、先ずは起こりうる全ての事象に対して期待をしないでおくということを実践してみたいと思うのです。
そして、それに併せて自分に対する期待もしないように心掛けます。
(ただし、他人そして自分への期待をやめるからと言って、私が他人の期待に応えなくなるというわけではありません。)


この実践は、単に「何かを失いたくない」「傷つきたくない」という後ろ向きな理由からではなく、「期待をする」ということによって生じる、私が勝手に作りあげた「私の理論」への他人及び自分自身へのはめ込みを防ぐためでもあります。
また、属人的に期待をかけないことによって、個々人によって期待度に違いを生じないようにしたいです。


“他人は変えられない”と“他人に期待しない”


後者の方が受け入れられる気がするのは何故なのか?そして、ここに存在する微妙な差異とは一体何なのか?それは“他人に期待しない”の方が行為遂行的であるからか?


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こんなことをここに書いたのも、どんな重大な決意も2、3日経てば忘れ去られてしまうのが関の山だと感じたからです。それこそ自分に対して期待なんかできません。


(2016年10月25日アクセス)

http://www.counselingservice.jp/s/lecture/lec9.html(2016年10月25日アクセス)

http://www.office-stella.com/renai/post-108.html(2016年10月25日アクセス)

http://www.counselingservice.jp/s/lecture/lec532-3.html(2016年10月30日アクセス)