職場でのコミュニケーション
職場でのコミュニケーションに関する覚書。
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以前、仕事で私が市民からクレームを受けた時、ある(直属ではない)上司Aさんからは、
“今後は、○○(私の非があったことを)しないように気をつけなよ。”
と言われました。
一方、ある(これまた直属ではない)上司Bさんからは、
“クレームがあったことを、そんなに気にし過ぎるなよ。”
と言われました。
私はその時、平静を装ってはいましたが、そのクレームを受けたことによって職場全体に迷惑がかかる可能性も十分あると考え、内心は不安な気持ちで一杯だったのでした。
実はBさん、その月一杯で自己都合退職してしまったのですが、もし今度お会いする機会があれば、その時の御礼を述べたいなと思っています。ただ、いざ述べる時に涙が込み上げてくるんじゃないかと。そういう心配をしていたりします。
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仕事でミスをしたことがありました。
“ちょっと忙しくて・・・。”
と私は咄嗟に言い訳をしました。
すると上司Cさんは、
“今後は○○(私のしたミスを)しないように。”
そして、
“忙しいからって理由にはならない。”
と私に言いました。
単なる甘えに聞こえるかもしれません。
しかし、私がかけてもらいたかったのは、そんな言葉ではなかったのです。
その時、私は多くの業務を抱えており、そのミスに関わる業務については、多くの時間を割いてはいられないと感じていました。
私が何故ミスをしたのか。その「原因」については少しでも考えを巡らしてくれたのでしょうか。そもそも私がどのような仕事を抱えているのか上司は把握していたのでしょうか。
(もちろん報・連・相の重要性はあります。また、上司が指示をしなくても部下が動くということもひとつ大事なことでしょう。)
私がミスをした直後に聞きたかったのは、逆説的ではありますが、
“いつも仕事頑張っているね。”
という労(ねぎら)いの言葉だった気がします。
ミスをした後に、「同じミスを繰り返さないよう念を押す」、これもミス防止のためのひとつの方法かとは思います。
しかし、ミスが判明した時点で、ミスをした本人もそれがいけないことだとは気づくし、気にすると思います。
それをわざわざ念押しする必要って、どこまであるんでしょう。
「ミスを注意する」ということで、仕事上の「監督責任」は果たされるかも知れません。しかし、「それはいけない」と状況をなぞることに終始することは、今後ともに仕事をしていく中で、どれだけ有益なのでしょうか。
毎日家族のために(代表的にはお母さんが)御飯を作っているのだけど、御飯が美味しくない時にだけ、「なんだこの飯は!」と言われてしまうような。「できている」が当たり前だと、ダメな点にばかり目がいってしまうのかなと。
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嬉しかった話。
職場の守衛Dさんと話をした際に、
“自治体職員さんは・・・”
と私の名前が出ました(もちろん、実際には私の本名)。それを聞いて驚いた私は思わず、
“何で、私の名前を知っているんですか???”
と聞き返してしまいました(その守衛Dさんが私の名前を知る機会というのは、私が時間外勤務をするために名前を名簿に記入する時ぐらい)。すると、
“自治体職員さんはいつも真面目ですから。”
と言ってくださいました(しつこいですが、実際には私の本名が入ります)。
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何気ない一言(やり方の違い)で、人の心は動いたり、動かなかったり。
少しだけ『北風と太陽』みたいですが。
いざという時、太陽のように人を暖かく照らせるような、
(画像出典:
http://segawatsuyoshi.blogspot.jp/2012/10/blog-post_31.html?m=1、2016年9月21日アクセス)
ソウイウヒトデ
ワタシハアリタイ