関西大学社会安全学部編『東日本大震災 復興5年目の検証ーー復興の実態と防災・減災・縮災の展望』(2016)
※このブログ(『自治体職員の勉強ブログ』)に記載されている内容は、このブログの筆者が所属する地方公共団体及び関連するその他の団体の意見を何ら代表するものではありません。
※【閲覧注意】本記事には、東日本大震災の被災地の様子についての記述や写真があります。
2011年3月11日14時46分発生
マグニチュード9.0
避難者数(復興庁発表)は災害発生約1年後の2012年3月22日時点は約34万4千人、2016年4月14日現在約16万5千人
被災地復興予算(平成26年度末まで)約26.3兆円
「ヨミダス歴史館」(読売新聞社の記事検索サービス)での「地震 or 震災」 and 「東北 or 東日本」で検索した記事本数は2011年3月11日〜2012年3月10日に5万373本(100%)、それに対し、2014年3月11日〜2015年3月10日に8368本(17%)
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東日本大震災 復興5年目の検証: 復興の実態と防災・減災・縮災の展望
- 作者: 関西大学社会安全学部
- 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
- 発売日: 2016/04/07
- メディア: 単行本
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本記事のデータは基本的には本書を参考に、そして、そのデータの一部については改めて省庁のホームページを確認し、新しい数値を補いました。
東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)被害報[最新] :: 総務省消防庁(2016年5月22日アクセス)
復興庁 | 全国の避難者等の数(所在都道府県別・所在施設別の数)(2016年5月22日アクセス)
東日本大震災と福島第一原子力発電所の爆発事故等、一連の事態(「3.11」)の発生から5年の歳月が経過しましたが、今、被災地がどうなっているのかというイメージをどれだけの人がどのような形でもっているのでしょうか。
私にはそのイメージがありませんでした。なので、宮城県での仕事が決まったことをきっかけに、自分なりに3.11に今一度向き合ってみることにしました。
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〈5月上旬〉
東北地方に震災ボランティアに行きました。初めて足を踏み入れた東北の地。被災地は震災5年後。どれだけ「復興」しているのか?
しかし、
どれだけ「復興」しているか、していないか、直感的にはよくわからない。
これが実際に被災地に足を運んだ上での、正直な感想。
そう感じたのは、2つの理由からだと思います。
1つ目の理由としては、震災前・直後の状況を知らないため、元々こういう場所だったor被害を受けてこういう場所になった、ほとんど被害を受けなかったor被害を受けた後にこういう場所になったなど、私にはビフォーアフターがわからないということ。
《しかし、震災の爪痕と言えるものは残っていました。》
《荒涼とした大地も広がっていました。》
2つ目の理由としては、何が「復興」なのかがよくわからないということ。たとえば、上の1枚目の写真に写された建物が取り払われることや建て直されることが「復興」なのでしょうか?場合によっては、この地に新たな建物を建て直す必要はないし、この建物をこのまま残すことに意味がある場合もあります。外観からだけではわかりません。また、被災された方にお話を聞く機会がありましたが、その方は「復興」という言葉はあまり好きではないとおっしゃっていました。それは、津波被災地に再び住みたいから再び住んでいる人ばかりではないことや(人なども含め)完全に震災前の状態へと「復(また)興(お)こる」ことはありえないということからでした。
確かに、「復興」という言葉は使い勝手が良いです。しかし、同時に複雑な言葉であるということも押さえておきたいところです。
ちなみに、震災ボランティアに参加するにあたり、私の背中を押してくれたのはこの本。
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〈5月下旬〉
仕事で宮城県に行きました。震災に関連しての仕事だったのですが、他の自治体で話を聞くに、このような事態になるとは全く予想してなかったとのことです(これについては、先のお話をしてくださった方も同様のことを言っていました)。
震災後の今となれば、「沿岸部なのに・・・(予想していなかったの?)」と正直思ってしまいますよね?
つまりは、「自分が住んでる場所は無関係だ。」「自分が住んでる場所はまさかね。」と普通は思うんです。
大規模自然災害は誰(どの自治体)にとっても無関係な話ではない。
これが、今回の仕事の中で得られたことで最も重要なことです。
詳細には書きませんが、ボランティアに参加したのも、元はと言えば、今回の仕事を行うことについて、私自身があまり意味を見出せなかったことに起因します。その点、この気付きは重要でした。併せて、
天災は忘れた頃にやって来る。
寺田寅彦の言葉らしいですが、ひとまず災害の記憶を留めておくことが一番の対策であるように思います。
そういった自治体の試みもあるので、ここに載せておきます。
たがじょう見聞憶|史都・多賀城 防災・減災アーカイブス(2016年5月22日アクセス)